初瀬勇輔 スタイル・エッジMEDICAL、ユニバーサルスタイル代表、パラアスリート(柔道)

日本一9回(国内大会9連勝)

お知らせ

株式会社スタイル・エッジMEDICAL、
株式会社ユニバーサルスタイル代表の
初瀬勇輔は、
健康経営の推進や障害者雇用に関する
事業を行う傍ら、視覚障害者柔道の
選手としても活躍しています。
その他、障害者の社会進出へ貢献する
ための講演やセミナー活動、
メディア出演も精力的に行っております。

所属・役職
  • 株式会社スタイル・エッジMEDICAL 代表取締役
  • 株式会社ユニバーサルスタイル 代表取締役
  • NPO法人日本視覚障害者柔道連盟 理事
  • 公益社団法人全日本柔道連盟 アスリート委員
  • 一般社団法人全日本テコンドー協会 理事・マーケティング委員長
  • TEAM BEYOND メンバー
  • 東京オリンピック・パラリンピック フラッグアンバサダー
  • 東京都スポーツ推進企業モデル企業選定委員
  • 一般社団法人日本パラリンピアンズ協会 理事
  • 一般社団法人障害者武道協会 事務局次長
  • NPO法人アスリート・ヘルスマネージメント 理事
  • 公益社団法人NEXT VISION 理事
  • 社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会 点字ジャーナル編集委員
  • 豊島区障害者地域支援協議会就労支援部会 副部会長
  • 東京中小企業家同友会豊島支部 監事
  • NHK Eテレ ブレイクスルー 障害者雇用プロジェクト プロジェクトリーダー

プロフィール

  1. 1980長崎県に生まれる。
  2. 2004弁護士を目指していた在学中、
    緑内障により視覚障害を持つ。
  3. 2005失意の底にあったが、高校時代に打ち込んだ
    柔道を再開することで、障害を克服。
  4. 2006佐世保市文化スポーツ特別賞
  5. 2007佐世保市文化スポーツ特別賞
  6. 2008柔道再開からの目標であった
    北京パラリンピック出場を果たす。
    豊島区スポーツ栄誉賞 
    佐世保市文化スポーツ特別賞
  7. 2009佐世保市文化スポーツ特別賞
  8. 2010佐世保市文化スポーツ特別賞
  9. 2011視覚障害者柔道の選手として活動を続けながら、
    障害者の雇用や社会進出により貢献するための活動も行う。
    また、講演やセミナー活動、メディア出演も精力的に行う。
    豊島区スポーツ栄誉賞 佐世保市文化スポーツ特別賞
  10. 2012東京都スポーツ功労賞 佐世保市文化スポーツ特別賞
  11. 2013佐世保市文化スポーツ特別賞
  12. 2014長崎県県民表彰特別賞
  13. 2015豊島区スポーツ栄誉賞

主な大会の戦績

  • 全日本視覚障害者柔道大会 90㎏級 
    優勝(2005~2011年 7連覇)
  • 全日本視覚障害者柔道大会 81㎏級 
    優勝(2012~2013年 2連覇)
  • フェスピッククアラルンプール大会・柔道 90㎏級 
    優勝(2006年)
  • IBSA柔道世界選手権大会ブラジル大会(団体) 
    3位入賞(2007年)
  • 北京パラリンピック・柔道 90kg級 
    出場(2008年)
  • IBSA柔道世界選手権大会トルコ大会 90㎏級 
    7位入賞(2010年)
  • 広州アジアパラ競技大会・柔道 90㎏級 
    優勝(2010年)
  • インチョンアジアパラ競技大会・柔道 81㎏級 
    3位入賞(2014年)
  • 全日本視覚障害者柔道大会 81㎏級 
    準優勝(2014年)

インタビュー

スタイル・エッジMEDICAL、
ユニバーサルスタイル代表 兼
視覚障害者柔道家(パラアスリート)
初瀬勇輔が目指すもの

て続けに失った視力、
ものすごい絶望感

「私は弁護士を目指していた浪人1年目(19歳)で若年性緑内障を患い右目の視力をほとんど失いました。

そして、大学2年生(23歳)の時に今度は左目の視力を喪失しました。立て続けに失ったこともあり、人生に物凄い絶望感を味わいましたね」、と初瀬は語る。

視力の中心部分が見えない。人がいるのは分かるが顔が見えない、親の顔も見れない。箸もうまく使えないのでご飯はおにぎり。歯磨き粉も付けられない。トイレもふたが空いているかどうかも分からない。夢であった弁護士の大事な要素である文字情報が見れない…。当時は、人生23年間積み上げてきたものが全部無駄になった、全部崩れていく感じがしたと振り返る。

ただ、そんな人生のどん底にいた当時、友人や大学の事務室の方など周りの方にものすごく助けられたと言う。

「通学や試験の受け方など色々とフォローしてもらって、何とか大学卒業も視野に入ってきた大学4年生の頃、ちょうど周りの就職が決まり出して焦ってきたんです。そんな時、知人の勧めと将来への不安やあきらめを打ち消す為、視覚障害者柔道を始めました」。

道経験者であったが、
最初は『臆病に』

「柔道は中学~高校までの6年間やっていたのですが、最初は『臆病』になっていました。やはり『目が見えずに戦う怖さ』は物凄いあります。最初は、練習のみで試合に出るとは決めていなかったので」。高校2年生の時に長崎県大会3位にもなった実力者であったが、初めは恐怖との戦いから始まった。

そんなある日、障害者柔道連盟の方に大会に出てみないかと誘われて、誘われるがままに大会に出場。なんと見事優勝に。「最初の大会で優勝したことが人生の転機になりました。目が悪くなって初めて自分で決断したことが、柔道を再開することだったので」。

その後、国内大会では9連覇、アジア大会では2連覇、北京パラリンピック出場など輝かしい成績を残すことに。

力を失った意味を求めて

『何で自分が目を悪くなってしまったのか?』という意味を探している、見つけるためにやっているんだと思います」。現在、初瀬は予防医学や障害者支援の事業、柔道家、講演やセミナー活動、メディア出演など、精力的に活動を行っている。

「視力を失った当初は、なぜ、自分だけこうなるのか、ふざけんなよと妬みなどがあるんですけど、自分にしかできないことがあると柔道を再開してわかって。だから貢献したいと。自分がそうなった意味って、障害者スポーツが根付くとか障害者が社会進出するとか、そう思い込んでやってます」。まだ答えは見つかっていないが、今、近いところまで来ているという。

以前、少年院で講演をした際、『もし今、薬や手術などで視力が良くなることができるとしたら、どうしますか?』という質問があり、どうするんだろうと改めて考えたことがあったそう。

「もちろん視力を失った直後であれば、どんなに借金をしてでも治すと思うんだけど、今となっては自分でも努力して色々な人の支えがあり今があるわけで。やりたいことも見つかって充実している今、視力を治してしまうと最初からやり直し、ゼロに戻ってしまう気がして…。もちろん、ゼロに戻るわけでもなく、柔道の成績も残りますし、今やれていることもできるのですが、自分のモチベーションの一つが、自分が障害を持っているからやっているというのがある。柔道の練習もしなくなるだろうし、障害者雇用の仕事をしても説得力が無くなると思う。ヘレンケラーの言葉で『障害は不便だけど不幸ではない』というのがあって、まさにその通りだなと」。

不便だけど不幸ではないということをまさに実践し、また障害者やその家族、健常者へ伝える活動をまさに行っている。

康経営の推進と障害者雇用

初瀬に今後の活動について聞いてみた。

「今後は、障害者雇用をはじめとした障害者の社会進出に関する貢献活動や、企業の健康経営の推進に力を入れていきたい。実は障害者雇用と産業医というのはとても関わりが深いんです。障害者は入社後、産業医の先生にサポートして頂く部分が大きい。障害者雇用のサポートに加え、産業医や様々な専門家とともに人と企業の健康をサポートしていくことで、誰もが笑顔で元気に過ごせる社会の実現を目指したいと考えています」。

初瀬の挑戦はまだまだ続く。