初瀬勇輔  柔道との再会

スタイル・エッジは障がい者アスリートを応援しています

スタイル・エッジはハンディキャップを
抱えながら夢の為に努力を続け、
そして自らも障がい者の
支援などの活動をしている
柔道家初瀬選手を応援しています。

日本一9回(国内大会9連覇)

プロフィール

  1. 1980長崎県に生まれる。
  2. 2004弁護士を目指していた在学中、
    緑内障により視覚障害を持つ。
  3. 2005失意の底にあったが、高校時代に打ち込んだ
    柔道を再開することで、障害を克服。
  4. 2006佐世保市文化スポーツ特別賞
  5. 2007佐世保市文化スポーツ特別賞
  6. 2008柔道再開からの目標であった
    北京パラリンピック出場を果たす。
    豊島区スポーツ栄誉賞 
    佐世保市文化スポーツ特別賞
  7. 2009佐世保市文化スポーツ特別賞
  8. 2010佐世保市文化スポーツ特別賞
  9. 2011視覚障害者柔道の選手として活動を続けながら、
    障害者の雇用や社会進出により貢献するための活動も行う。
    また、講演やセミナー活動、メディア出演も精力的に行う。
    豊島区スポーツ栄誉賞 佐世保市文化スポーツ特別賞
  10. 2012東京都スポーツ功労賞 佐世保市文化スポーツ特別賞
  11. 2013佐世保市文化スポーツ特別賞
  12. 2014長崎県県民表彰特別賞
  13. 2015豊島区スポーツ栄誉賞

主な大会の戦績

  • 全日本視覚障害者柔道大会 90㎏級 
    優勝(2005~2011年 7連覇)
  • 全日本視覚障害者柔道大会 81㎏級 
    優勝(2012~2013年 2連覇)
  • フェスピッククアラルンプール大会・柔道 90㎏級 
    優勝(2006年)
  • IBSA柔道世界選手権大会ブラジル大会(団体) 
    3位入賞(2007年)
  • 北京パラリンピック・柔道 90kg級 
    出場(2008年)
  • IBSA柔道世界選手権大会トルコ大会 90㎏級 
    7位入賞(2010年)
  • 広州アジアパラ競技大会・柔道 90㎏級 
    優勝(2010年)
  • インチョンアジアパラ競技大会・柔道 81㎏級 
    3位入賞(2014年)
  • 全日本視覚障害者柔道大会 81㎏級 
    準優勝(2014年)

メッセージ

障害者支援に積極的に取り組んでいる
会社に応援してもらい、
本当に嬉しいです。
また、理解ある方々の応援は
私の力になります。
この応援を、力を、障害者雇用や
社会進出へのきっかけとなるよう
仕事と柔道に全力を注いでいきます。
私も成長していくので
一緒に成長していけると嬉しいです。

インタビュー

初瀬勇輔×スタイル・エッジ

スタイル・エッジ:今回は、16年リオデジャネイロパラリンピック選考会前の、お忙しい中、お越しいただきありがとうございます。

初瀬さん:いえいえ、こちらこそありがとうございます。

スタイル・エッジ:今、練習はどれぐらいされているのですか?

初瀬さん:今は、大会直前なので週3~4回、大学とブラジリアン柔術のほうで練習をしています。

スタイル・エッジ:ブラジリアン柔術ですか!?

初瀬さん:はい(笑)
視覚障害者柔道は、組み手争いがなく、組んだ状態から始まりますので、寝技が重要になってくるんですよ。

スタイル・エッジ:なるほど、それでブラジリアン柔術! その視覚障害者柔道を始めることになったきっかけを教えて頂いてもよろしいですか?

初瀬さん:はい、私は弁護士を目指していた浪人1年目(19歳)で若年性緑内障を患い右目の視力をほとんど失いました。
そして、大学2年生(23歳)の時に今度は左目の視力を喪失しました。人生に物凄い絶望感を味わいましたね。

スタイル・エッジ:立て続けにですか…。

初瀬さん:視力の中心部分が見えない。人がいるのは分かるが顔が見えない、親の顔も見れない。箸もうまく使えないのでご飯はおにぎり。歯磨き粉も付けられない。トイレもふたが空いているかどうかも分からない。夢であった弁護士の大事な要素である文字情報が見れない…。
当時は、人生23年間積み上げてきたものが全部無駄になった、全部崩れていく感じがしました。

スタイル・エッジ:そんな中、出会ったのが視覚障害者柔道ですか?

初瀬さん:はい、その当時は、友人や大学の事務室の方など周りにものすごく助けられました。
通学や試験の受け方など色々とフォローしてもらって、何とか大学卒業も視野に入ってきた大学4年生の頃、ちょうど周りの就職が決まり出して焦ってきたんです。
そんな時、知人の勧めと将来への不安やあきらめを打ち消す為、視覚障害者柔道を始めました。

スタイル・エッジ:初瀬さんは中学~高校までの6年間、柔道をやられていたんですよね?

初瀬さん:はい、高校2年生の時に長崎県大会3位にもなりました。

スタイル・エッジ:すごい! そんな実力があったということは、視覚障害者柔道でも勝つ自信はあったのでは?

初瀬さん:いや、最初は「臆病」になっていました。
やはり『目が見えずに戦う怖さ』は物凄いあります。最初は、練習のみで試合に出るとは決めていなかったので。

スタイル・エッジ:でも、最初に出場した大会で優勝ですよね!?

初瀬さん:まぁ(笑)。障害者柔道連盟の方に大会に出てみないかと誘われて…最初の大会で優勝したことが人生の転機になりました。
目が悪くなって初めて自分で決断したことが、柔道を再開することだったので。

スタイル・エッジ:そのまま快進撃が続いて、なんと、国内大会では9連覇、アジア大会では2連覇、北京パラリンピック出場など輝かしい成績を残していますよね?

初瀬さん:いやいや、海外ではそんなに良い成績を収めていないので(汗)

スタイル・エッジ:でも、そんなアスリートの傍ら、仕事、講演やセミナー活動、メディア出演なども精力的に行っていらっしゃいますよね?

初瀬さん:そうですね。

スタイル・エッジ:忙し過ぎじゃないですか?

初瀬さん:(苦笑)「何で自分が目を悪くなってしまったのか?」という意味を探している、見つけるためにやっているんだと思います。
視力を失った当初は、なぜ、自分だけこうなるのか、ふざけんなよと妬みなどがあるんですけど、自分にしかできないことがあると柔道を再開してわかって。
だから貢献したいと。自分がそうなった意味って、障害者スポーツが根付くとか障害者が社会進出するとか、そう思い込んでやってます。

スタイル・エッジ:自分が視力を失った意味にはたどり着けましたか?

初瀬さん:ハハハ(笑)。うーん、でも今、近いところまで来てると思いますよ。この間、少年院で講演した際、「もし今、薬や手術などで視力が良くなることができるとしたら、どうしますか?」という質問があり、どうするんだろうと考えたことがあって。
もちろん視力を失った直後であれば、どんなに借金してでも治すと思うんだけど、今となっては自分でも努力して色々な人の支えがあり今があるわけで。
やりたいことも見つかって充実している今、視力を治してしまうと最初からやり直し、ゼロに戻ってしまう気がして…。
もちろん、ゼロに戻るわけでもなく、柔道の成績も残りますし、今やれていることもできるのですが、自分のモチベーションの一つが、自分が障害を持っているからやっているというのがある。
柔道の練習もしなくなるだろうし、障害者雇用の仕事をしても説得力が無くなると思う。
ヘレンケラーの言葉で「障害は不便だけど不幸ではない」というのがあって、まさにその通りだなと。

スタイル・エッジ:なるほど、深いですね。

初瀬さん:(苦笑)そんなに深くないですよ。

スタイル・エッジ:最後に『今後の目標や夢』を教えてください!

初瀬さん:まずは、リオデジャネイロ・東京のパラリンピック出場です。そして、障害者スポーツの普及、2020年の時にはパラリンピック会場の全会場を満席にしたいですね。最後に、障害者雇用の第一人者になりたいです。

スタイル・エッジ:ぜひ、実現できるよう私たちも微力ながら応援させて頂きます。引き続き頑張ってください。

初瀬さん:ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。

スタイル・エッジ:よろしくお願い致します。